#22:計画書が、プロジェクトを殺す─ 監理者が機能しない組織の、本当の理由

お世話になっております。YMGアドバイザリーの山口です。

今回の投稿は、皆さんにとって、少し耳の痛い話かもしれません。

ベンダーや現場ではなく、プロジェクトを進める組織そのものに関わる話です。


監理者がいても、救えないプロジェクトがある

Vol.20では、「体制図に監理者(Project Supervisor)の席を作れ」と論じました。

Vol.21では、「監理者が見るべき構造監査の三視点」を解説しました。

しかし、ここで正直に言わなければなりません。

監理者を体制図に加えても、プロジェクトが救われないケースは確実に存在します。

これは、監理者の能力の問題ではありません。 構造品質の問題でも、提案・実装ベンダーの誠実さの問題でもありません。

もっと手前にある、組織そのものの問題です。

私がこれまで複数の組織で繰り返し目撃してきた「失敗のパターン」には、驚くほど共通した構造があります。

それを今回は解剖していきます。


「計画書の呪縛」─ なぜ誰も修正を言い出せないのか

どのプロジェクトにも、起点となる文書があります。
稟議書、起案書、あるいはプロジェクト計画書と呼ばれることが多いと思います。

そこには予算規模、完了期限、期待される成果が書かれています。

もちろん、計画書そのものが悪いわけではありません。

問題は、計画書を「更新されるべき仮説」ではなく、「守るべき既成事実」として扱ってしまう
(もしくは、そうせざるを得ない)組織の力学にあります。

この文書が承認された瞬間、奇妙なことが起きます。

計画書が、「目指すべき目標」から「守るべき既成事実」へと静かに変質します。

プロジェクトが進むにつれ、当初の見積もりが甘かったことが見えてきます。
想定外の複雑さが出てくることもあります。

ベンダーの「できます」が、実は「工数をかければ作れます」だったことが顕在化する。

スコープの定義が、現場の実態と乖離していたことに気づく。

こうした「現実の修正情報」が揃い始めたとき、推進担当者の脳裏に浮かぶのは何か。

「計画を見直すべきだ」という判断よりも、 「この計画の甘さを、誰に、どう説明するか」という
恐怖ではないでしょうか。

計画の修正を申し出ることは、計画立案能力への疑義を自ら招く行為になる。

日本の、特に伝統的な組織において、この心理的等式は想像以上に強固に機能します。


組織は、合理的に失敗を選ぶ

ここが最も重要な点だと考えます。

問題を認識していながら、計画の修正を言い出せない推進担当者を、責めるつもりはありません。

彼らは臆病なわけでも、不誠実なわけでもありません。

組織の構造の中で、極めて合理的な判断をしているのです。

考えてみてください。

計画の修正を提言した場合、その人は「問題を起こした人(または、寝た子を起こした人)」として
記憶されます。 仮に修正が受け入れられても、「見通しが甘かった人」というレッテルが残ります。

一方、黙っても、完走できた場合は、少なくとも「予定通り終わらせた人」として評価されます。
システムが使われなくなるのは、リリースから半年後やもう少し将来の話です。

この二択を前にしたとき、「完走を選ぶ」ことは、極めて合理的な判断、だと捉えることができると思います。

そして、組織の中の全員がこの合理性に従って動いたとき、
プロジェクト全体は、誰の意図にもかかわらず失敗へと向かいます。

悪人がいない。 全員が誠実に仕事をしている。

つまり、組織は”合理的に失敗を選んで”います。

私だけではなく、読者の皆さんも、様々の現場で目撃してきたのは、まさにこの光景ではないでしょうか。

計画書の数字を守るために、現実の方が書き換えられていく。

課題は「運用でカバー」という言葉でクローズされ、ダッシュボードのステータスはGreenを維持し続ける。


監理者が最初に戦うべき相手は、ベンダーでも現場でもなかった

この構造を理解すると、Vol.21で論じた「構造監査」の限界が見えてきます。

Closed-loopの断絶を指摘しても、AM-BOM(As-Maintained BOM)との整合性の問題を提示しても、
その指摘が「計画修正の必要性」を含意した瞬間に、組織の重力がそれを押しつぶします。

監理者の指摘は正しい。 しかし、「計画書を守ること」の方が、組織内では強い力学として働く。

監理者が最初に戦うべき相手は、ベンダーの楽観的な「できます」でも、現場の抵抗でもありません。

計画書という文書が組織内で持つ“絶対性”と、それを取り巻く心理的構造そのものなのです。

この戦いは、論理的な正しさや技術的な正しさやだけでは勝てません。

監理者の指摘が無視される組織では、問題は監理者の不在ではなく、真実を受け止める意思決定構造の不在にあります。


経営者が変えるべきは、計画書の位置づけ

では、何が変われば状況は変わるのでしょうか。

一つだけ言えることがあります。

「計画は更新されるべき仮説である」 という文化を、トップまたは組織が明示的に作ることです。

計画の修正を提言した人を評価する。

「当初の見通しが甘かった」ことより、「現実を早期に直視した」ことを称える。

そういう経営者や組織の長の態度が、組織の重力を少しずつ変えていきます。

これは理想論ではありません。 むしろ、監理者を体制図に入れることより難しいことです。

なぜなら、経営者自身が「計画通りに進んでいること」への安心感を手放す必要があるからです。

週次レポートのGreenに安堵している経営者が、計画修正を奨励することは、
ある意味で自己矛盾に近い行為を要求されます。

しかし、それをしない限り、監理者は機能しません。 構造監査の結果が届いても、それを受け止める組織の土壌がなければ、報告書は棚に眠るだけです。


診断の前に、対話を

だからこそ、構造監査は単なるレビュー作業ではありません。

経営層もしくは組織の責任者が「計画を修正する勇気」を持てるかどうかを確認するプロセスでもあります。

YMG Advisoryが提供するスポット監査は、構造品質の診断と同時に、

「この組織は、その診断結果を受け止められる状態にあるか」

という問いも含んでいます。

計画書の呪縛が強い組織に対しては、監査の前に、まず経営層との対話から始めることを提案しています。

問題が小さいうちに、診断を。 診断の前に、対話を。


取り上げてほしいテーマ、ご質問、ご相談などございましたら、お気軽に ymg-info@ymg-advisory.com までご連絡ください。

次回Vol.23では、この現実を踏まえた上で、監理者が「機能する条件」を整えるための意思決定ロジックを論じます。

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#21:ベンダーの「できます」を疑え ─ プロジェクト初期に行う『構造品質の監査』の正体